セッション ("Whiprush") 220524

セッション220524


去年ぐらいに、初めの五分ぐらいだけ見て、辛くなって見るのを止めて、

もうすぐアマプラの見放題から外れるということを知り、また、畏友の感想をみて鑑賞をを再開。

なんというのか、辛い。

何故かと言えば、自分自身とかつてのシショウとの関係を思い出すから。

今であれば、アカハラモラハラだ、と騒ぎたてれば、必ず勝てるような案件というか、日々の暮らしでした。

シショウの様々なストレス(おもに、奥さんとそのお母さんとのギクシャク)のはけ口となり、さんざんな目にあいました。8年間。

8年目にして、目が覚めた時に、この人をどうやって殺そうか、と考えている事に気づき、自分から消えることにしました。正常じゃないや、って。

まぁ、そのあと色々あって、紆余曲折を経て、なんとかかんとか、生き抜いているんですが。

主人公が学校を去って、偶然フレッチャーと再開するんですよ。
で、コーヒーを飲みながら、しみじみ話をする。
良いシーンなんですがね、で、自分が厳しく接したのは、優秀なプレイヤーを生み出すためだ、みたいなセリフを吐く。つぶれたら?と聞かれて、優秀なプレイヤーはつぶれない。という感じの答えを言う。

そうだよな、と私なんかも思うわけです。

主人公ほどの才能も、努力の結晶も無かったんだけど、
しかし、自分が何某かの者になるために努力を積んできた、つもりではある。

彼と僕との違いは、彼は意地をはり、壁を突き抜けた、という点でしょうか。

とはいえ、僕はまだ終わる気はなくて、何が何でも、この壁を突き抜けるぞ、という思いだけは、あるんです。

長期戦です。


『赤めだか』での談志のセリフが、胸にささったんです。

ズルをしているようにしか思えない志らくを「擁護」するセリフ、
あいつはずるい、不公平だ、ぐらいにしか思えない談春に対して、

「あいつはずるいとか、不公平だ、とかいう他人をけなすのは、一番楽な事だ。
 そんなんじゃあ、決して上には行けない。」
ー大体こんな感じ

そうなんですよね。

民主主義社会での競争であれば、とにかく他者より上に行くためには、努力を重ねるしかない。
間違った努力かもしれない。自分に向いてない努力なのかもしれない。
その時は、早い段階で方向転換した方がいいけれど、
そうでなければ、とにかく石にかじりついてでも努力を繰り返し、
追い抜くしかない。

水戸黄門のテーマソングですよね。
『あとから来たのに追い越され~♪』

それがイヤなら、歩き続けるしかない。

今のこのタイミングで見て良かったのか、ちょっとわかりませんが、
まぁ、見て良かったな、と思えはします。

ミラクル・シティ・コザ

現代とコザ暴動時代とを行ったり来たりする映画。

 

目の付け所も面白いし、タイムスリップの仕方も、まぁ目新しい。

 

高い評価を与えている人も多かったけど、自分としては面白くなかった。

 

時代考証は良いのだろうけど、ストーリーの展開の仕方がつまらないと感じる。

一つには、監督と脚本家が同じ人。やはりここに力不足が反映したのではないか、と感じた。

後一ひねりあれば、もっとはるかに面白くなれただろうな、と感じる部分が多く、若手だからこそ、これからの道につなげるためにも、もっと周りの協力を得るべきだったんじゃないかと思えてならない。

 

数少ない上映館の、最終上映日。15席の劇場に一人。

それだから、集中できるはずなんだけど、正直言えば、つまらなかった。

 

ただ、繰り返すけど素材は良いのだから、もっと脚本を練りなおして作った方がよかったとしか思えない。

可能であれば、腕を磨いて続編(的なもの)を作ってほしい。

その時には、満足できるものであってほしい。

 

ないちゃーだけど、おきなわを愛する一人の人間として、大変に残念な作品。

頑張ってください。次の作品に期待します。

銀鏡

宮崎県西都市銀鏡地区の神楽の物語、だとばっかり思っていたら、年間を通した銀鏡地区の皆さんの営みを記録した映画。

銀鏡には行ったことは(当然)ないけれど、自然の美しさと、代々続く歴史を感じる物語。さらに山に入った地域に、椎葉村(日本三大秘境の一つと言われたり、日本民俗学発祥の地=柳田国男が『後狩詞記』を記す記録を収集した村)がある。

当然ながら、生活そのものは100年分近代化しているけれど、柳田国男聞き書きをした時分をイメージしながら人々の姿を見た。

郷愁なのだろうか?私の場合、祖父よりその前の代から農村とは縁がない。無いけれども、たしかに懐かしさを感じはした。

しかし、当然のように男社会。ある意味、このご時世でこれだけの男社会ぶりを、さりげなく記録出来るというのも興味深い。

神楽の舞い手(祝子ほうりー作中の神主さんは「しゅくし」と発音していたが)は、当然ながら、みな男。神楽舞台の準備などの力仕事も当然男。直会だとおもう宴席も全部男。

 

良いか悪いかではなく、これが日本の山村の伝統なのだろう。さて、それがいい事なのか、悪い事なのか。どう考えるべきなのか。

 

難しい。

聯合艦隊司令長官 山本五十六

映画館で、1000円の日だったので。

ひさしぶりに納得できた日本映画。
とても良くできていた。

もちろん、美化されていて、批判的な話はない。
wikipedia には随分と山本五十六の批判的な記事もある。
おそらく、それも事実だろう。

ただ、聯合艦隊司令長官という位置づけではなく、上司と、その部下たちという視点で見たとき、、素直にうらやましい。
自分が今、上司関係に悩んでいるだけになおさら。

あの頃の日本の軍部とりわけ高級将校は、優秀な人物が多かったのだろう。
当時の学歴の最高峰が帝大か海兵であったわけだから。

それを踏まえて考えないといけないし、また物語だから美化されているのも当然だが、しかし、彼我の差を考えてしまう。せめてああいう上司に仕えたかった。


役者の話

役所広司はすごい。顔の演技というものが今までわからなかったが、今般ようやく解った。なんともいえず良い。家族で食卓を囲むシーンなど、胸が熱くなったわけでもないのに、涙が出た。
原田美枝子もすごい。愛を請う人の激烈な演技でのイメージが未だに強いが、しかし、あのたおやかさ、なんともいえずに良い。

ただ、海軍の将軍の家・家庭があれだけつましいのだろうか?
一枚のヒラメを家族6人で分ける。もっとも半身は五十六の、みたいだが。
現在であれば、高級官僚。局長クラス以上の給与だろう。
今ならいくらか?1000万円台後半。

五島慶太だったかの公務員時代の初任給が、目安として貸家一軒かり、ばあやを雇い、車夫・運転手・下男相当を一人雇えるだけのもの、というのがあった。今なら初任給で年収一千万というところか?と考えたことがあった。
役人が国を背負って行く時代の話だから、当然といえば当然だろう。

軍人会館、水交社か、で柄本明がウィスキーをのみながらチーズらしきものをつまむシーンがある。当時の庶民とはかけはなれた軍部の生活を端的に上手く描いているが、これが実情だろう。ものすごく高い一杯と一皿だろうが、海軍大臣までつとめた人間なら当然のものだろうし。
であればなおのこと、現役の中将の暮らしとしてはどうしても肯んじがたい。
ま、清潔さが現れているのだろうが。

原田美枝子が寝込んでいる座敷に家族でちゃぶ台を持ってくるときに、「いっちに、いっちに、」と役所広司が音戸をとる。「油断大敵」を思い出した。
で、ちょこっと調べてなるほど、と思った。本作の成島監督は、油断大敵の監督でもあったのだ。なるほど、と。正直「油断大敵」の時はまだもう少し、という作劇だと感じたが、今作は十二分にねられている。なるほど。


香川照之。んー、今ひとつ。いつものエキセントリックな演技で、演技は上手いのだが、なんというのか役が乗り移っていないというか。もう少し練れた姿をみたい。

ただ、気になったのがあの主幹のいる新聞は、論調からも社章からも朝日のことだと思うのだが、あれが真実を踏まえた脚色だとして、会社として社論が変わるのは当然だろう。だが、それまでの中心だった人物が排斥されて別の人物が社論を担ったとばかり思っていたが、あのように同一の人物が生き残り社論を左右したのだろうか?

それが疑問だ。

たとえば読売は正力というように個人の名が出てくる。しかし、朝日は、「バスに乗り遅れる」というような気の利いた言葉あるが、個人の名は出てこない。どうしてだろう。
そしてそういう社論の変化を、彼らは総括していないのだろうか?
社外の人間でもそういうことをしていないのか。とても強く知りたい。


伊武雅刀

この人も最近は重厚な役が多いというか、なんというか。
やはり短髪になってからは、白い巨塔の浪速大医学部長以来の怖いイメージが。
その人が永野軍令部総長を演じるとは。

重厚な演技の中に、作戦意図を理解せず、容喙してくる首脳という姿にはなんともいえない悲哀を感じる。

この人も、海軍を代表する頭脳の一人であっただろうに、全体を理解できていない。あるいは自説に固持してしまう。

人間のサガなのだろうが、なんというのか、なんといえばいいのか。
その下で振り回される人間の身にもなってほしい。

まぁ、頭のいい人が陥りやすいワナなのだろう。僕もずいぶんそういう「頭の良い人たち」を見てきた。しみじみ思う。

とはいえ、結局人間は万能ではなく、あるい一面では正しい行動も、別の一面では非常に愚かな行動で、だからこそ我々はそれなりの生き方ができている。あるいは、それしかできない。


玉木宏

この人そのものは好きでもないし嫌いでもない。人気はある人だが。ただ、この人の演技はあまり評価できない。
のだめのチアキなんかは、彼らしさが出ていてわりと良かったと思う。MWはちょっとキザキザしさが鼻につきすぎのようにも。
その点、今回のは今までのにくらべて比較的良かったと思う。
役者としての幅が出てきたのか。

ただ、いただけないのが、「大日本帝国戦史」のスクラップ帳の表紙の文字と、鉛筆の握り方。
あれじゃあ、興をそぐでしょう。あまりに下手すぎる。
まぁ、映画の題字の武田双雲の字もどうかと思ったが。
しかし、これも武田双雲が書いた方が良くなかったか?

どう考えても、旧帝大出のエリート記者のはずなのに、あの字の下手さはあまりに酷い。ましてやあの鉛筆の持ち方も。

インタビューによれば、本人が字を書くことが好きで、だからあのスクラップ帳の表紙も書かせて貰ったそうだが、しかし、あれじゃあ、まずすぎる。九仞の功を一気に欠くというのは、こういうことを言うのだろう。あまりに酷すぎた。

なんというのか、他の小道具もかなり良いできだと思う。
あ、主幹室の本棚の中の本はよくない。
たしかに当時の本をあつめてきたのだろうが、古ぼけすぎ。
60歳の本だ。せめて生まれた頃の姿の本をいれるべきだろう。

この二点、まぁ、本棚はよくありがちではあるが、しかし、とにかくあの玉木の字はひどすぎる。
のだめの時のタクトの振り方も酷かったが、この人はもう少し自戒したほうがよろしいのではないのだろうか。素質はあるのだろうから。





全般

ほかには、CGのシーンがとてもよく出来ていて、他の作品のようなとってつけた感がない。CGの進化もだが、役者の成熟していく姿も追体験できたことを併せて考えると、まぁ自分が歳をとったということなのだろうが、その喜びを実感できた。

ものすごく珍しいことに、演技に涙が出た。特に役所広司の演技に。自分がようやくそれだけのアンテナの感度を持てたのか。彼の演技が突出して良かったのか。


評価 1800円
というか、もっと高くても良いと思う。
今年のベスト。

世界侵略:ロサンゼルス決戦

久しぶりに映画館で視聴。

SF映画というより戦争映画。

あたかも、コンバットのような、あるいはプライベートライアンのような。

まぁ、単純な世界観というか、一方的に侵略され、それから国土を、身を賭して守るという。
音はうるさいが、それなりにスカッとする。

見ていて感じたこと。

中で一回だけアフガンの方がマシだ、みたいなシーンがある。
これは、やはり、まぁ当然の話ではある。

まぁ、あら探しというか、いつものように目に付く矛盾。

あれだけの技術力があって、どうして白兵戦で地球を侵略するんだろう?もっと簡単な侵略方法はあるだろう。

そもそも、エイリアンの侵略の目的は何なのか?

映画の中では「水」だという。「水」で良い。
水で良いんだが、であれば、地球上の人間を消滅させる必要があるのか?沿岸部だけ、ということなのかも知れない。だが、いずれにせよ、白兵戦は必要ないだろう。
地球上の生命だけどうにかするなんらかの兵器を使えないのか?
中性子爆弾とか。

あるいは、すべての通信網を破壊するとか。

そういう方向での侵略にあい、その後どう生き残るのか、とか、そういうドラマはダメなのか?

次に、部下を死なせてしまった上官の情感というのもよくわかる。なのだが、それを納得しない部下というのも、どうだかなぁ、と思う。そこの割り切りはマリーンともあろうものが出来ないのか。そして、そういう人間を近くに配置するか?

まぁ、舞台回しとしては妥当なのだろうが。。。

次にこの時期にこういう映画を作る・作られる理由。

ケネディ一家

NHKのオンデマンドで視聴

これが関心するのが、JFKも、リンドン・ジョンソンも、ジャッキーも、一瞥すると本人かと思ってしまうぐらい似ていた。すぐに違いは分かるのだが。

で、内容は、今までは映像化されなかったであろう、JFKの暗黒面を描いた「大作」。

映画JFKとかでは理想的なヒーロー的大統領としてしか見えなかったが、これまでにあれこれ文章化されてきた彼とその家族の暗黒面、たとえば、どうしようもない女好き、マフィアとのつながり、妹の障害などが描かれていて、ただのケネディ王朝ではなく、ケネディ一家の苦悩が垣間見れたと思う。

JFKとマリリンモンローとの関係はそれなりに見聞きしていたが、まさかあそこまで女にだらしない人だったとは。タイガーウッズやクリントンを想起してしまう。FBIのフーバーが激高して、JFKの秘密をさぐらせるシーンがあるが、いや、フーバーそのものが女装癖がって、云々だったような記憶が。

父親の女好きもすごいが、彼のアクの強さというのもなかなかで、これらを全部覆ってしまう偽善のカバーとでも言うものが、なんというのか、アメリカの上流階級らしさなのかもしれない。
実際はわかりませんが、映像で見られる姿はそういうもので。まぁ今回のシュワちゃんの離婚も同じ理屈じゃなかろうか、とも思う。今回の騒動まで何も知らなかったのか?知事の任期が終わるまでは辛抱したのか?後者だと思うんだけど。ま、シュワちゃん夫人がケネディ一族というのも因果を感じますが。

この中で一人、ケネディ夫人の望むままに成長したのが、ボビーケネディ。彼は正義の人で、浮気もしない、酒ものまない、タバコも吸わない人として描かれている。実際には、彼もマリリンモンローと関係があったらしいのだが。
ただ、その正義漢が暴走して、マフィアを徹底的においつめ、兄と自分の死をもたらすことを後悔する姿が、なんというのか、アメリカの現状を描いているなぁ、と関心する。


ここに描かれた話しは目新しくはない。だけど、それがテレビシリーズ化したというのは、最後のケネディ家の大物、テッド・ケネディも死に、それから10年ほどがたち、ようやくJFKが歴史上の人物になったということなのかもしれない。
今は中国でもようやく毛沢東の批判的記事が許されるようになったという。それも彼が歴史上の人物としての判断を許される時代になったから、らしいのだが、それと同じ伝で、JFKも歴史上の人物になったということなのだろう。JFKジュニアの死からももうずいぶんたっているのだし。

ただ、一人のヒーローが単純なヒーローではないというのに、好感が持てる。
もてるし、なんというのか、そういう人間的欠落がある人物の方が大統領として好感をもたれている
ビル・クリントンもそうだし、ジョージ・ブッシュ2世の方はアル中だったし)、
むしろ潔癖な人物として見られる人たち(カーターとか、ニクソンとか)の方が、政治的には評価されていないように見えるのが、なんというのか、人間の二面性の持つ意味というのか、を感じさせてくれる。


☆☆☆☆☆ 1800円映画になったら見たい。

イエスマン

110630

ジムキャリー


ぱっとしない人生を送っている銀行マンの物語。

前半部分でのジムキャリーのつまらない人生ぶりがよく出ている。
親友と会うことすらも面倒、親友の婚約者には信頼されていない、などなど。

そこからイエスといえば人生が好転する、という宗教チックな自己啓発セミナーで人生が変わるというものがたり。

まぁ、単純でシンプルなのだが、そういうものなのだろうな、とか思う。

斉藤一人が書いている本は結局そういう教えだ。
自分がどれだけついているか、そう思うこと、そう言うこと、それで運が良くなるという。
どこまで本当なのかなぁ、とか思うのだが、しかし実績をあげた人の話なのだから、説得力はいや増しに増す。

さらにいえば、「阿頼耶識」を活用した瞑想の話もある。
無能 唱元の話で、まぁ、科学的ではない。
だけど、今までに成功した経営者の話などに共通するのはこの感覚ではないのだろうか。
明るく、前向きに。

そうすることで、自分の持つ力が大きく発揮されるのではないのか。
周りの助力も得やすくなるのだろう。

それを実行できるかどうか、なのかもしれないが。


自分の場合、成功したといえる訳ではないが、結果的に明るく前向きな時期は明るく前向きな事が生じていたように思う。
かつての暗黒の10年時代、周りのダークなフォースの影響をうけすぎていた頃は、あまり良くないことばかり生じていたように思う。

素の自分にもどり、明るく前向きに、と心がける必要すらなく、要は、人の裏側とかイヤな面とかを考えずに行動するようになってから、昔のように、良い循環が戻ってきたように思う。

よくわからないが。

☆☆☆☆ー 1000円。映画館でゆっくり見たかった。