火天の城
6月18日
なんというのか、西田敏行、大竹しのぶ、椎名桔平と豪華な顔ぶれなのに、イマイチ感が強い。
セットもすごい、心柱はCGなのだろうが、城の木組みなんかは本物じゃないかと思うぐらいの出来。
なのになぜ、?
脚本が悪いのか、監督が悪いのか?
そもそも、ラブロマンスが挿入されているのが無意味じゃなかろうか?
棟梁の娘と、若い職人との、あれがジャマだし、
山本太郎の尾張弁も変。
細かい変をあげつらうとそればかりになってしまうが、なんというのか、この違和感が残念。
本体のストーリーそのものはわりと良かった。
まぁ、西田敏行がいつもの演技だとか、若頭に、「木は育った側で使え(北側斜面で育った木は建物の北側に)」とか南で育った木は枝が多いとか、というのを教えるっちゅうのはムリがないか?
若頭にそんなの教えているということは、この若頭って、基礎教育を受けていないということにならないか?
今まで30年ぐらい番匠をしてきたんだろうに、今頃教えられるって、何?みたいな。
まぁ、そんなこんなで感情移入がしづらいのが難点。材料も良いし、金もかけているし、
役者も割と良い人を使っているのに、この残念感は何なんだろう?
ひょっとして、ハリウッドシステムで作っていて、本来必要ないラブストーリーを無理矢理プロデューサーあたりにねじ込まれたのか?
しかし、冷静に考えると、本体のストーリーそのものも、なんだか、変。
だし、だ、ここりこ遠藤率いる異人の行進は何なんだ。
楽市楽座の説明をムリにするために登場させたのか?
「妖艶」なのかもしれないが、の女性の集団は、安い女郎の行進にしか見えないし、
黒人(?)風の傘持ちにしても、信長に黒人の家来が居たという話につなげるための演出なのだろうが、
しかしなぁ、もっと本当のアフリカ人を起用すべきじゃなかったのか?
それにしても遠藤は演技が下手。というか、台詞もダメ。
やはりああいう短いところで芸達者かどうか、ちゅうのが出るのだと再認識
次は、前健。
この人の存在そのものは嫌いじゃないし、今の『江』にも出ているし、時代劇シフトしているのかな、とも思うんだが、その役回りは、ただヒステリックに泣きわめく道化師。
そういう役が要るということは解るんだけど、だけどなぁ、この人の性向を知っているだけに、ただのやかましいオカマちゃんに見えてしまうのが、勿体ない。
こういう役回りを見ると、クロサワの「乱」だったかに出てきたピーターを思い出す。
役自体クグツだったと思うのだが、お館様が死んだときにだか、天を仰いで叫んでいたのを想い出す。
こういう役は、やはり垣根を越えた人の役なのか?
しかし、ピーターは美しいが(好みではありませんが、なんというのか、性を超越した美しさはあると思う。成宮とか。)が、前健はどうも、なんというのか、筋が違うんじゃないかと思う。
もうちょっと演出の仕方があったのではないか。
もう少しなぁ、なんとかならないのか。
そもそも、「城を作るために来たのに、何で戦にかり出されるだ、」ちゅうのも、変じゃないか?
城を作るのは、戦のための建物であって、この時代の人間は戦があるのも、かり出されるのも当然の暮らしなわけでしょう。
であれば、そこいらの整合性を取るべきじゃあないんだろうか?
後半部分のテーマはここにあるんだろうが、そこにつなげるための伏線というか、物語の舞台づくりが不十分だと思う。
前半部分でそこいらの葛藤を描くとか、無いのだろうか。
全編とおして、城作りに命をもやす番匠の姿が出てはいるが、もう少し描き方があると思うのだが。
もう少し作り込んだら、もっちょい作品になっただろうに、残念。
☆☆ーーー(☆2つ、金返せとまではいかない。レンタルで200円なら、レベル)
椎名桔平の信長は良い感じを出していたし、西田敏行もまぁ、いつもの西田さん。
だけど、もう少しこの人達を活かす方法はあったのではなかろうか?
大竹しのぶなんか、良い感じだったのに。