武士の家計簿

堺雅人仲間由紀恵


発売当初に、原作を読んでいた。良くできた本だった。
話題になる前から。面白いなぁ、と思っていた。
どんな映画になるのだろうと、わくわくしていた。

期待が大きすぎたのか、失望とまではいかないが、なんというのか、ちょっとなぁ、感が強い。

道具だてとかは良い。良いのだが、細かい違和感が積み重なる。

たとえば、、、

婚儀の直前の宮川一郎太(懐かしい!)らの会話。
彼は能登周りに左遷されるはずが、
子供が生まれたお祝いの後に、しかも仲間由紀恵は普通の着物に帯だから、
それなりに時間がたっている、つまり、最低でも11ヶ月後に、
能登勤務になりそうだ、と告げている点。

そこまで時間がかかるか?

さらにいえば、宮川一郎太とその下僚の会話では、この二人は悪役ではないのか?
まぁ、水戸黄門ばりの悪代官・悪家老というわけにはいくまいが。
で、なぜ大出世を遂げられたのか、など不明が多すぎる。

子供が四文をなくし、ごまかそうとし、雨の中地べたを探すシーン。
これは良い、本当は良くない。
1,着物がよごれ、摩耗する。超緊縮財政下では望ましくない。
2,栄養状態も医療状態もよくない当時、人間の死亡要因の最大のものは風邪。
そこへんを考えると、そういうことをさせたのか?と疑ってしまう。

その上、おばばさまから借り入れ四文とある。
このこと自体は、父親は糾弾していない。
しばらく後に、犀川で拾ったという四文を川に戻しにいかせている。
このつながりはどうなるのか。

さらに言うと、
この子は、おばばさまとは呼んでいるが、松坂慶子への呼びかけが一度もない。
中村雅俊に対しても、だ。
西村雅彦へは、ヨサンパチと呼んでいるのに。
それらの整理がほしかった。そもそも、母方の外祖父への気安い呼びかけの根拠、いわれがほしかった。
ヨサンパチというのは、彼の名らしいが、なぜそこまで気安く呼びかけてよいのか?
直系尊属には丁寧に、外祖父であれば気安くてよいのか?疑問が残る。
さらには、ヨサンパチの息子が出てこない。親族を大事にするのだから、彼らも出るべきだろう。


その上で言うと、
新政府軍に出仕してから、数年後に帰郷するまで一度も帰らなかったのか?
その間3年として、それはそれで良いとして、その間に金沢の城下があそこまで、変化していたのか?


さらにいえば、死に臨んだ松坂慶子に、かつて売り払った小袖を着せるシーンはなかなかに良いのだが、そんなに何年も呉服屋においてあるものか?ああいうもの?
柄は古くさくなるのだろうか、早く売り払うものではないか?
ましてや、直之の元服の時の服なのに、そんなに長いこと店においておいて良いのか?



小道具など、細かく作り込んでいると思われるのに、そこらが残念。
ストーリーは、うーん、どうも余りよく作られていない。

監督の力なのか、脚本家の力なのか。

勿体ない映画化だ。

堺雅人は、いつものように穏やかで強烈な武士を演じているし、
草笛光子松坂慶子の老婆ぶりも良い。
中村雅俊も老け役にはちょっと早いが、まぁ、全体的な風情は良い。

だけど、、、、
なのが残念。

☆☆☆ーー レンタルで良かった。500円か。

華麗なる一族

佐分利信仲代達矢、田宮次郎、


昔の版の。
最近のテレビ版のより、よりドロドロしていて良いと思う。

佐分利信がなんともいえず、良い。あのアクの強さがたまらない。
逆に、仲代達矢が、これって大根じゃないのか?
名優なのか?僕にはわからない。


全般的に皆さん演技が上手いようには思えない。
大根かその一歩手前か、みたいな。
まぁ、そういうものなのかもしれないが。

だけど、ストーリーそのもののドロドロ加減がたまらない。
閨閥をつくりたがる高須アキコとか、
大蔵省主計局次長のエリート官僚美馬なにがし、とか、

この泥臭い人たちに適当にあしらわれる
長男の仲代達矢とか、次男の目黒祐樹とか、相手先銀行の二谷頭取とか。

あぁ、そういうアマちゃん軍団にこの人達をすえたから、良いのか?
逆に言えばこの人達がアクのつよい軍団で演技をすることが出来ただろうか?

二谷の部下のなんとか専務の西村晃とか、の役回りを逆にすることが出来たのか?

見てみたいが、今となってはせんないこと。



☆☆☆☆ー 1800円 この頃劇場で見たかった。

トークショー

キャシー・ベイツ アメリ

デヴィッド・レターマンジェイ・レノが、ジョニー・カースンの後を襲おうとした時期のドタバタ・イザコザを描いた話し。実話だという。

ジョニー・カースンはアメリカの夜の顔だった人。30年間にわたり、トークショー(トゥナイト・ショー)のホストをやった人。
僕がアメリカに居たとき、夜にテレビを見る時のスタンダードだった人。
この人が代表するアメリカの笑いが好きで、日本でみられないのがとても残念だった。

日本で言えば、誰にあたるのか?タモリ黒柳徹子みのもんた
タモリタモリでも、昼の顔ではなく、夜のタモリ倶楽部の時が近いか。

で、その巨大な後釜、物語ではギャラは一年間で600万ドル。ウィキペディアによれば最近の年収は4000万ドルにのぼるらしい。なんか凄すぎる。オプラに至ってはケタがさらに一つ上らしいが。

で、キャシー・ベイツがいつもの肝の据わったおばさん。怖い怖い。
こういう人がいたら、たしかに誰も反論出来ないよなぁ。

というか、日本の企業とかの組織でもこういう人はいるよなぁ。
ここまで明確に人にかみつくことはしなくても、ワガママというか自己中というか。

今までの日本の企業は男尊女卑だとかセクハラ・パワハラがまかり通る世界だみたいに言われてきたけど、今の日本の組織でそれなりの年回りの人たちというのは、おばさんパワーで周りの男を虐げているようにしか見えない人が多いのではないだろうか?

彼女たちが様々な苦労をしてきたのであろうことは想像に難くないしその努力そのものは評価するけど、しかし、なんというのか、あんたそれでいいんかい、みたいな言動を繰り広げる人って多すぎないか?
うちの職場だけなのか?

うちの職場だと、それなりのポジションの人といのはそれなりの調整力があるし、黙々と仕事をする感じが強い。だけどそのポジションに居る女性というのは、なんというのか、調整力は無い。まわりが従っているだけ。
なぜ言うことを聞くかといえば、女とケンカするのはめんどくさいから、という家での夫・妻関係の再現みたいな構図。

で、この物語はそういう怖いおばさんキャシー・ベイツが、これから伸びようとしている、あるいは伸びつつある、伸びかけている、ジェイ・レノを強引にジョニー・カーソンの後釜に押し込み(その座を奪い)、莫大な権力をふりまわし、周り中を敵にして、で、辛抱しきれなくなった周りの人間が彼女を切る。

それと同時並行して、本来なら順当にジョニー・カーソンの後釜になるはずだった中堅どころのデビッド・レターマンがその座を奪われ、自分に相応しい番組を手に入れるまでの葛藤(面白いまでに、他人をけ落とす事はしない)を描いたものがたり。

ここで対比的に見られるのは、ジェイ・レノ本人は信じられないぐらいの善人として描かれているということ。人を裏切ることはしないし、昔の恩義に篤い。イタリア系だからかもしれないが。その彼が、結果的にキャシー・ベイツにだまされジョニー・カーソンをだましてしまい、そのことに激怒し、キャシー・ベイツを切る。
そして、デビッド・レターマンも、まぁ甘い人ではあるのだろうが、この手の業界に多いだろう、裏技・寝技を仕掛けることもなく、自分の次の番組をどうやって手に入れるのか、自分が拘ってきたトゥナイト・ショーをどうしても手に入れたい、しかし、他の番組でそうしたい、という葛藤が描かれている。

ここに出てくる腹黒い人間は、NBCの重役2人。
彼らは、この手の映画に良く出てくる、目先のそろばん勘定ばかりが優先する人。
で、2人ともそれなりに成功しているというのが、イヤ。


☆☆☆☆ー 1000円の日なら映画館で見たい。

ラスベガスをぶっつぶせ

2008年 アメリ

MITの学生がブラックジャックで大金を作る物語。

ケビン・スペーシーが、ちょっとエキセントリックなMIT教授役で出てくる。
なんというのか、はまり役と言えるのかもしれない。

学生役は、ジム・スタージェス。どこかで見たような、と思っていたら、『アクロス・ザ・ユニバース』の主演だった。なるほど。

で、ベガスのギャンブル・カウンセラーというか、日本的には用心棒に、ローレンス・フィッシュバーン。この人もはまり役という感じ。

こういうときにつくづく、ハリウッドの人の層の厚さに感じ入る。
話しの内容は、まぁ、こんなもんか、という感じ。可もなく不可もなくというと言い過ぎかもしれないが。

ベガスの魅力というか魔力というか、がよく描かれている。
一度行ってみたいんだけど、なかなかチャンスが無い。

MITの構内も魅力的に使われている。行ってみたかった。

まぁ、しょうがないんだろうけど、字幕の誤訳がちょっと。意訳というにはちょっとケアレスだろうと思う。

ハーバード医科大学とか。
これは日本人の感覚で訳せば、ハーバード大学医学部でしょう。
どうしても、なら、ハーバード大学医科大学(日本の歴史的にはこういう用法もあったし)
そもそも、日本の大学システムとアメリカのそれは違うわけだけど、
たとえば、Law School の名前を訳す時にどうするか、にも通じるでしょう。
いや、University とColledgeの違いか。

より端的には、東京大学東京大学医学部、東京医科大学は別物だ、ということで、ハーバード医科大学とう別の学校があるようにしか見えない。

まぁ、本筋には関係ないんですが。


あと、MITのビルに、ニュートンとかダーウィンとか書いてあるのが良いなぁ。
いかにも知の殿堂という感じがする。

自分がいつか大学の学長か理事長になったらこういう建物名にしたいなぁ。

アメリカの街の通りの名は、元々は1番街からスタートするように味気ないものが多いんだけど、それなりの歴史の中で有名人の名前にとってかわるようになっている。
何処の街だか忘れたけど、それを大統領の名前の順にしているところもあった。
ワシントンアベニューが一番街で、一つずつ代が進んでいく。
こうすると、高校生がアメリカ史の授業で覚えやすくて良い
(ちなみに、アメリカ史の授業とアメリカ政治の授業はアメリカの高校の必須科目です。さらにいうと、たった200年ちょっと(発見されてから500年程度の国の歴史だから、歴史の教科書は、まぁ、細かい事まで書いてある書いてある。イヤになりますよ。読み物としては面白いんですけど)

あるいは、アルファベット順に通りの名が決まっている街もあった。
アダムストリートの次は、ベイカーストリート、みたいな。

そういう風に名前をつけていくのも良いんだろうな。

1号棟は、Aで始まる人の名前で、みたいに。
26号棟まで造れるし。


物語の筋そのものは、まぁ、よくあるパターンか。
優秀な人間が、ビジネスライクな人間に見いだされ、それまでの小さな幸せを守ろうとするのだけど、周辺の人間(普通は魅力的な異性)にほだされ、巻き込まれていく。
で、自分が作ってきた・守ってきた小さな生活・幸せが壊れはじめ、舞台が大きくかわり順風に進んでいたプロジェクトが破綻し、ここでもう一度舞台が代わり、大団円に向かって、復讐もしくは復興をとげる、という。


実際のチームメンバーはアジア系が多いらしく、本作では白人が大半のチームの作り。アジア系コミュニティーからは異論が出たらしいのだが、それで良かったと思う。
だって、この映画をアジア系の俳優がしていたら、まぁ、誰でもいいですが、アジア系のイメージがまた低下していたと思う。

ガリ勉の金儲けが好きな、そして、何を考えているか分からない、というイメージが。本作に出てくるチョイみたいな、あるいはチャイナタウンのカジノの風景のような。



Pastimeにはうってつけの作品だろう。

さすが、可もなく不可もなくという作り。


☆☆☆ーー 500円。レンタルで十分。

Moon 月に囚われた男


主演サム・ロックウェル
監督ダンカン・ジョーンズ
2009年 イギリス
鑑賞 5月から6月にかけてのいずれかの時期

なんというのか、SFサスペンス?


月での孤独な任務(燃料採掘会社の月面基地係)を契約した男が、小さなトラブルの積み重ねの中から、隠された秘密を発見していく物語。

宇宙空間で一人、あるいは特殊な環境で一人ぼっちの人間が陥る罠というか、そういう類型のドラマ。落ちは、こういうものか、と少し驚いたが、まぁ、十二分にあり得る物語。

アメリカ人の何割かがもつ、大企業への不信感を下敷きに考えれば、こういうストーリーも出来るわいな、というお話。さらにいえば、製作はイギリスで、かつての植民地省の役人の感覚ってこうだったんじゃなかろうか、とか思ってしまう。

日本のように、帝国主義時代の終わりにむりやり植民地経営に乗り出した国とは違い、イギリスの400年間にわたる洗練されれた植民地経営と、その歯車たる人間のあり方、というか。
デリーのコロニアル風のホテルの芝生の上で優雅にお茶をしている欧米風の皆さんと、彼らに給仕しているホテルマンの姿を見たのを想い出した。もちろん、独立前とは構図が違うのは当然なのだろうが、400年間変わらない光景を見た気がした。さらにいえば、こちらにいる日本人の集団は、暑いさなかに律儀な格好(ネクタイとか、スーツとか)で、あちらは涼しげな風情。そういう格好でなければ、あの熱暑の国では生きていけないだろう事も事実。それにひきかえ、我々は、というのも事実。


で、この月世界で思ったのは、そういう優雅な植民地経営の拠点で優雅な暮らしが出来る人ではなく、本国から遠く離れた植民地の、さらに辺境にある事務所の係員の生活。

こういうものだったのではないのだろうか。

遠く離れた本国に居る家族を思い、まだ見ぬ子を思い、一日一日を数えながら、本国というか家族の元に戻る日を待つ毎日。

で、物語の後半には残酷な仕掛けが見えてくる。

この非道さというのは、なんだろう、日本人には物語に出来ないのではなかろうか、と思う。実際にあるのだろうか?こういう舞台回しの物語。

これぐらいの割り切りが出来ないと、あの国のあのシステムでの出世・金儲けは出来ないのだろうなぁと、昔を振り返りシミジミ考える。

似た物語で、もう少しまともな話しは、エディ・マーフィーダン・エイクロイドの『大逆転』だろう。あれも結構酷い話しだが、人一人の人生をもてあそぶという意味に置いては、同じ文脈上にあると思う。

『アーロン収容所』に描かれた「家畜の群れの管理に長けた民族」というものの持つ基本的な立場というのだろうか。

ボランティアなどで示す人に対するヒューマンな考え方と、それと同居するエコノミカルな考え方。まぁ、自分らがエコノミカルな動物であるということを強く認識しているからこそ、社会貢献とかを社会として強く志向するのだろうが。

そういう物を考えさせられた。


と、監督がダンカン・ジョーンズというのに驚いた。デビッド・ボウイの息子とは! あの人のDNAを継いでいるなら、ご自分が主演できるのでは、とも思うが。

ツタヤから、
たった一人で月に3年間滞在することになった男が、やがて不可解な現象に巻き込まれていくさまをミステリアスに描いた本格SFサスペンス。主演はサム・ロックウェル。監督はデヴィッド・ボウイの息子でこれが長編デビューの新鋭ダンカン・ジョーンズ。巨大燃料生産会社と契約し、月でたった一人の仕事に従事する宇宙飛行士のサム・ベル。人工知能を搭載したロボット、ガーティを相棒に、月でエネルギー源ヘリウム3を抽出・精製し地球へ送る単調な毎日を送っていた。唯一の慰めだったTV電話も交信不能となってしまい、ますます孤独感に苛まれていく。そんな中、3年の任期終了まであと2週間となる。肉体的、精神的にも、いよいよ限界を感じつつあるサムだったが…。

☆☆☆ーー レンタルでも十分。500円ぐらいか。

BECK

向井理佐藤健、水島ヒロ
中村蒼桐谷健太

今が旬の面々の映画。

単純に良かった。公開の時に映画館に行かなかったことを反省した。
メジャーな宣伝が多すぎたから、反発したのだけど、行けば良かったと後悔。


ストーリーの深さとか、そういうものは基本的に無い。
よくあるパターンの、青春の友情物語、ハッピーエンド版。

深く考えずにみれる良い映画だと思う。
ウィキを見る限りでは、あちこちから批判があるようだが、
プロの見方でしょう。

素人の私には十分良い映画。

特に良かったのが、佐藤健のボーカルで音が流れないこと。
これが良かった。
どうとでもイメージ出来る。

本当なら、楽器もすべてこうできたら良いのだろうが、そうも行くまい。


見ていて気がついた点。
佐藤健の歯並び、とくに下があまり良くない。
けど、水島ヒロの歯並びは良い。

やはりアゴが小さいからか。
それとも、水島ヒロは体が資本の親の元で育ったので、
歯はきれいなのか?
あるいは、差し歯か?矯正済みか?


水島ヒロの顔の小ささ。
なるほどなぁ、と思う小ささ。
スタイルも、日本人離れしている、というか。

佐藤健は、日本人体型でとしては良いからだ。なのか?
CMのダンスの体の切れを見る限りでは、筋肉もついているのだろうけど、
それが分からない(役の上からも重要なのだろう)。
Q10といい、しょぼい高校生役がぴったりなのが、なんとも。
指も細いし。

しかし、この人眼が大きい。ほこりが入って大変だろう。

英語が上手いということで、水島ヒロはたしか公開の時にあちこちでほめられていたが、
幸いこちらがコンプレックスを刺激されるレベルでなかったことに安心。
普通の日本人としては上手い、というところか。
翻って、忽那汐里の英語は、たしかに帰国子女ですね、という感じなのが、なんとも。
あそこまで自然な英語であれば、こちらもコンプレックスは抱かずに済む。


☆☆☆☆☆ 映画館で通常料金で、しかもプレミアムシートで見たいクラス(2500円相当)

フィリップ、きみを愛してる!

ジム・キャリー ユアン・マクレガー


ただのコメディと思って見始めたら、これが意外なぐらいに良くできていて、
たしかに、ジム・キャリーユアン・マクレガーが主演しているのだから、当然か。
そのうえ、リュック・ベッソンが製作総指揮なら、金もかけ、質も高い。

往々にして、主役のギャラで制作費の大半をとられる映画もあるけれど、これはちゃんとしていた。


ジム・キャリーも老けたと思う。
思うけど、芸達者ぶりは相変わらず。


ユアン・マクレガーはなんとも色っぽい。
やはり、あのイギリスなまりが色っぽさを醸し出すのではないのだろうか。
サッカーのベッカムの時もおもったが、コクニーとも少し違うあの訛りが。

まぁ、イギリスの人にしてみれば、アメリカがなまっているんだろうけど。
ただ、日本に置き換えて考えてみれば、アメリカ訛りが東京訛りで、イギリスなまりが京言葉、ということか。

であれば、我々が京都の女性の「はんなり」した言葉に色気と上品さを感じるのと同じ、ということか?


ゲイ映画というのはどうしても色目というか、興味高さで見られるし、万人受けしないのだろうが、しかし、ユアンマクレガーの色気・恋心がとても良く出ていたと思う。
ジムキャリーからは色気・恋心は感じられなかったが、一人でつっぱしり、愛する人をお互いに愛し合うことができない、自分の視点からの独走スタイルに入る人間らしさ、という観点から見ると、それが良く出ていたように思う。

まぁ、どちらが男役なのか、ということにもなるのだろうが、ジムは男役でユアンは女役。
そういう立ち位置で見ても、たしかに2人のキャラの違いは出ているのだろう。


自分が同性愛では無いのだなと痛感したのが、恋人2人の姿として見ると、ヒトとしての共感は覚えるのだけど、男女の恋愛像を見るときのアドレナリンのドキドキ感が無い。
甘い語らいも、甘くは見えない。


と、さすがだなぁ、と思ったのが、2人のキスシーンがあること。
影ではあったが、唇が重なっているのが出ている。
他の映画みたいに、唇が動くまでは行かないが。

これに近い驚きは、真夜中の弥次さん喜多さんの、長瀬と七の助のラブシーン以来か。
しかし、あの2人はかなりストレートに熱演していたが。

あとは、キーウェストでの即物的なラブシーン。舷側に隠れていてそのものずばりはないし、
(まぁ、無い方がいいが、)無いのだが、事が終わった後に、船縁から海にはき出すところが
良くできているし、ユアンマクレガーはさすがだと思う。
芸達者だ。

刑務所の中でのおとなしいゲイっぷりも良いし、ケンカの時の恐怖というか嫌悪の顔も良い。
トレイン・スポッティングとはずいぶん変わったが。


☆☆☆☆ー(☆四つ 2000円。ちょっと高めの映画館で見ても良い。難点はジムキャリーの演技がちょっと。なんというのか、渋みがまだ出ていないのが残念。あの芸達者ぶりが熟成した後に見てみたい。)